ひとくち伝言 平成22年11月

 「榮雅くん、僕ねぇ、温故前進て言葉を考えたんだ。」
 目の前で臥せっていた大叔父が唐突に、ポツリとそう言いました。

 私の父方の、祖母の妹の旦那さんである大叔父は、大変に博識ながら茶目っ気があるお人で、私が尊敬する方々のうちの一人です。その大叔父が数年前から体を悪くして療養するようになり、お見舞いにお邪魔した時の言葉です。
 「温故知新じゃなくて、前進するんですか?」ベッドの脇で私が訊ねますと、にっこり笑って顔をこちらに向け、「そう、前進するんだ。」と答えました。いきなりの話題で少し戸惑ってしまいまして、「へぇ〜、なるほど」と言った後どう言葉を続けようかと考えている間に、話題は次へと移っていきました。ちょっとした洒落だったのか、深い考えがある言葉だったのか、聞く機会の無いままに時間は過ぎ、そして、もう確かめることは出来なくなってしまいました。もうすぐその大叔父の四十九日がやってきます。近頃、やけにその時の大叔父の言葉が思い出され、その意味について考えるようになりました

 状況が行き詰った時に、なんでこうなったんだろうと、過去に遡って考えると、本当にちょっとしたことが原因となっていた。それを知ることで、今までどうにもならなかったことがうまいこと転がり始めることがある。また、古の賢人の言葉や智恵が、一歩を踏み出す勇気をくれることもある。ああなるほど、こういう場合には「故きを温ねて新しきを知る」よりも「故きを温ねれば前に進む」の方が合う。単に知識を求めるのではなくて、前に進んでいくための智恵を求めることを、より強調した感じだろうか。
 こんな具合に、あのときに聞いた言葉を思い返し、ゆっくりと味わってみると、聞いた時とは何かが少し変わっている気がします。それどころか、思い出すたびに少しずつ違っているんじゃないかとさえ思えてくる。まるで言葉が生きているかのように。大叔父の言葉が、前進かどうかはわからないけれど、自分という容れ物の中で身動ぎをしているかのようです。たくさんの言葉や知識が、より深く、さらに進展しようと、私の中で温ねられるのをじっと待っているのかもしれない。

 そんなことをいろいろと考えておりますうちに、なんだか大叔父やたくさんの先人と対話をしているような気がしてまいりまして、少し嬉しくなるのです。


                                                  (榮雅)



ひとくち伝言板

◇11月〜12月の行事予定

11月7日 (日) 午前9時より  写経の会
11月17日 (水) 午後1時より  大護摩供 並びに境内石仏総供養
                    護摩札のお申し込みは前もってお電話かFAX、
                    eメールにてお願いいたします。1体3,000円です。
            
12月5日 (日) 午前9時より  写経の会
          (終わった後に、一足早い年越し蕎麦をみんなでいただきます。)
12月17日 (金) 午後1時より  納めの観音法要



◇ 毎年11月17日は、境内の石仏諸尊に日頃の感謝を捧げご供養をいたします。本堂では護摩供も修しますので、どうぞお参りくださいませ。
また、護摩供のお札をご希望の方はお電話かFAX,eメールなどで、前もってお申し込みをお願いいたします。

◇百観音明治寺の百周年祭記念法要を、来年(平成23年)の11月17日に予定しております。
百周年祭実行委員会を設けて着々と準備を進めておりますが、まだまだお手伝いをしてくださる方を募集しております。どうぞよろしくお願いいたします。