ひとくち伝言 平成13年4月(119号)




 寺という字に日偏がつくと「時」になり、言偏がつくと「詩」に、手偏がつくと「持」、竹冠がつくと「等」になります。寺という字には本来どんな意味があるのか、住職である私には、長年気掛かりでありました。
 むかし「ある所に大きなものが落っこちて、大きな音がしました。そこはどこでしょう」というなぞなぞがありましたね。答えは「お寺」なんです。「ドスン」という音がしたから。現代漢語例解辞典(小学館)をみると、寺は「土」+「寸」ですから、まさに「どすん」なのであります。
 成り立ちの説明では「寸は手であり、土は止(とどまる)のこと。寺は役人がとどまって仕事をするところ、つまり役所の意。のちに特に、僧がとどまった役所、てらの意となった。」とありました。学研の漢字源には、「漢代に西域から来た僧を鴻臚寺という接待所に泊めたため、のち寺を仏寺の意に用いるようになった。」とありました。「なるほど」と思いました。
 ところで、寺に「とどまる」という意味を当ててみると、寺をつくりとして持つ色々な漢字の意味を見事に説明できるから面白いものです。
 手偏に寺(とどまる)は、手に物がとどまっているから「持つ」になります。道を表す彳に寺は「道にとどまる」で、「待つ」になります。人の傍らにとどまる、つまり要人のそばで警護している人が「侍」です。「詩」は心に長く残る言葉の意となります。「なるほど」が四つになりますね。ひょっとしたら、「じっとする」の「じ」は「寺」なのでしょうか。まさか。
 竹かんむりに寺でなぜ「等」なのか。大昔の役所では竹簡を用いておりました。竹簡の両端をきちんと揃えて棚にしまっていたから、「等」の意味が出たそうです。では、なんで病垂れに寺と書いて「痔」になるのか。これがまた私には(住職として)長い間合点が行かなかったのですが、そうです、いつまでもとどまっている病が「痔」なのであります。
 問題は「時」であります。時が「日偏にとどまる」ではピンと来ませんね。調べてみると角川も学研も小学館も、そうは説明していないのです。この場合「寺」の上の部分(土)は「止」ではなくて進むことを表す「之」で、時だけは「日偏に之(ゆく)」という意味だと言うのです。
 ここまできて一つだけ同じ切り口で説明できないのが、どうも今ひとつ面白くないなと思って、この話題を抱えていたんですね。ところがむかし、祖母がこんなことを言っていたのを思い出して、ああそうだったと思いました。
 「何でも無理に辻褄を合わせようとしてはいけないよ」。

百観音明治寺 住職 草野榮應







   ひとくち伝言板   


平成13年(2001年・仏紀2566年)4月の行事ご案内


4月 1日(日) 午前9時より  写経の会

4月 6日(金) 午後1時半より  法話の会

4月 8日(日) 降誕会花まつり(午前9時より終日)
           花まつりコンサート(午後6時より)

4月17日(火) 午後1時より  百観音法要

4月11,25日(水) 午後6時半より 黙ってすわる、坐禅の会




 花まつりコンサートのために、今年もご協賛を頂戴しつつあり、ありがたい限りです。おかげ様で、無理のない形でこうした行事が開催でき、そして長続きしているのが何よりです。(28日には朝日新聞のマリオンに紹介が載りました。)
 武久源造さんも今やすっかりビッグネームになり、近年ますます多忙になっていますが、4月8日の花まつりコンサートだけは必ず予定に入れてくれています。その信頼に応えねばと思うこの頃です。
 少しずつゲンゾーさんの作曲がプログラムに入っているのもいいですね。「イノセンス」と「子どもの願い」。このタイトルにも注意を引かれます。彼にとってはここが、安心して新しいものを試すことができる場となっているようです。
 ここでは桜ばかりではなく、武久源造の定点観測もできるのです。

 3月末に百観音で仏前結婚式がありました。きらきら輝く新郎新婦を見るのは、うれしいものですね。「いい仕事ができてよかった」という気持ちです。
 住職は式を司るために、普段は滅多に着ることのない装束=袍服ほうぶく=を着て、金襴の袈裟をまといます。二人に負けじと、綺羅をまとうわけですが。
 こんな装束は落慶式くらいの時しか着られませんので、着方を忘れてしまいそうです。(どんな装束かご覧になりたい方は、百観音で仏前結婚式をしてください)

 5月の日帰り旅行(案) 足利の歴史散策・足利学校と鑁阿寺〜会席料理付き連休が明けてから、5/22日の前後あたりにと考えています。(詳細後ほど)

 切手代ご寄付感謝録 ありがとうございました。
 西山栄子様、広田寿男様、村井国郎様、魚田順子様、杉浦暁美様、松本重夫様。

 見学に来てくれた丸山小学校の生徒さんからのお便りを紹介します。
 ぼくは、かんのん様の手のかたちがチョキとかパーとかの手の形があってジャンケンをしちゃった。かんのん様のすぐちかくにおじぞうさんもいたからびっくりしました。ぼくは、せつぶんまつりにいつも来ています。でもいつも、ボールがとれません。かんのん様のかおが3つのかおがあるのがあってこわかった。
(3年1組 たきケ崎もとき君)

 かんのんさまを、かいてみたら、とても、むずかしかった。
 けど、いろんなかんのんさまをみれて、とてもうれしかったです。わたしがきにいったのは、にょいりんかんのんです。
 「なににしようかな。」とかんがえていたら、わたしとおなじように、かんがえていました。それで、ちがうものを見つけました。
(同 白田ちひろさん)

 ぼくが好きなかんのん様は、やさしいかんのん様です。ぼくもかんのん様になりたいです。
(3年2組 石川尚嗣君)





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百観音明治寺 草野榮應