ひとくち伝言 平成17年3月
開基(慈雲榮照大法尼)のお命日が昭和十年一月十七日、開山(雲農密信大和上)のお命日が昭和三十一年四月十七日ということもあり、当明治寺にとって「十七日」は特別な日として大切にしています。これが毎月の法要の日となり、多くの皆様にご参詣を仰ぎ、各々の先祖のご供養、又、ご自身と ご縁の深い方々の息災をお念じいただく日でもあります。篤き真心をお捧げになるその思いは大きく、まことに尊い願いでございます。
今年最初の月例法要の日でもある一月十七日は、阪神淡路大震災から満十年の記念の日でした。神戸のある方は、今日までに復旧は成ったものの、復興にはまだ時間がかかる…と言っておられます。十年という月日は長くもあり短くもあり、振り返ればまことに感慨無量です。まだ記憶に新しい中越地 震、あるいはインド洋スマトラ沖の津波の被災地の惨状を知るにつけ、現地の方々の一日も早く立ち直ってくださることを願わずには居れません。
さて、今年で終戦から六十星霜を数えます。日本中の都市が空襲に遭ったのもその年、昭和二十年でした。三月十日未明の東京大空襲では、城東地区 (浅草・本所・深川とその周辺)が悉く焼き尽くされ大勢の方が亡くなりました。四月十三日から三日間は城東から城北にかけて、更に城南、今の千代田区・文京区・豊島区・新宿区、川崎市・横浜市にも爆撃が加えられました。五月二十四日と二十五日は東京都のほぼ全域が焼け野原になり、沼袋界隈もこの空襲で灰になりました。百観音境内のその唯一の生き証人が、本堂前の大イチョウです。大正元年に建立された本堂が焼け落ちる際の炎で焦がされたにも拘らず、一面焦土と化した恰もその闇の中に、イチョウは一筋の光明のごとく輝いて家を失った人々を勇気づけ見守ってきました。現在もなお立派に枝葉を拡げているその姿に、観音経の偈文の一節「慧日破諸闇 能伏災風火 普明照世間 悲体戒雷震 慈意妙大雲 ?甘露法雨…」の響きが重なって、妙なる木霊が辺りを包んでいるような気がいたします。この大木は、北西側の焦げた幹を痛手を受けなかった側の樹皮が覆い、徐々にではあれ元の威容に戻りつつ成長しています。身を以て六十年の歳月を語っているのです。
過ぎ去りし日々に漫然と思いを巡らすのみではいかがなものかと思いますが、しかし、振り返ることから明日の力を見出そうとする姿勢は大切でありましょう。会社も学校も団体も、創立(開設)以来○○周年というように歩みを見つめます。年齢を数えることは、自分の生きてきた年月を将来の糧として目標を見据えるバロメーターかも知れません。
考えてみれば還暦(60才)・古希(70才)・喜寿(77才)・傘寿(80才)・半寿または盤寿(81才)・米寿(88才)・卆寿(90才)・白寿(99才)・紀寿または百寿(100才)・茶寿(108才)・皇寿または川寿 (111才)・昔寿(120才)など賀寿祝いの慣わしも、長生きの目標とすべきものではないでしょうか。
ところで182才を「天寿」とする説があるそうですが、真偽の程は別として、この出典をご存知の方は是非ご教授ください。 〈知明記〉
知明拝