ひとくち伝言 平成17年9月
昨今、世間では「やさしい」という事が流行っているようです。いわゆる「癒し」が求められている時代なのでしょう。
この「やさしい」には、「思いやりがある」という意味と、「簡単である」という意味がありますね。ひとくち伝言集「やさしい言葉」の題名はもちろん、その二つの意味をかけています。
ふと、この二つの意味の関係が気になりましたので、広辞苑を引いて見ました。
やさし・い〔優しい・易しい・恥しい〕
有りました有りました。意味によって漢字も違うんですよね、優しいと易しい・・・。恥しい?
意味は、最初に『@身も痩せるように感じる。恥かしい。』とあります。『A周囲や相手に気を使って控え目である』『Bさし向かうと恥ずかしくなるほど優美である』『Cすなおである。おとなしい』と続き、五番目になってやっと『情け深い』という意味が出てきます。「簡単である」という意味に至っては八番目・・・。
「すわ、もしや二五年間も意味を取り違えてきたのか!」と焦りましたが、別の辞書を引くと、ちゃんと一番に『おだやかで思いやりがある』と書いてあります。良かった、本の題名を変えないで済む・・・。
では、この意味の食い違いはなんでしょう。
そこで、今度は語源辞典の出番です(この厄介な性格と大量の辞書は、父からの大きな遺産です)。
講談社の「暮らしの言葉 語源辞典」を引くと、「やさしい」の語源は『ヤス(痩す)』だそうです。『身が細る(痩せてしまう)ほど恥ずかしい』という意味が、その奥ゆかしさから『優美』という意味に発展し、さらに『(こちらが恥ずかしくなるほど、相手が)思いやりがある』という意味に発展したそうです。なるほど。
きっと「やさしさ」には、そんな恥ずかしがり屋とも言える謙虚さが欠かせないのでしょうね。
「私が」席を譲ってあげたとか、「私が」募金してあげた、というのは、本来の「やさしさ」とは少し違うのかも知れません。周囲の人に自分のやさしさを見せて自分の得を考えたり、自分の頭の中で「こうしてあげれば喜ぶはずだ」と思い込んで行動するのではなく、自分というものを抑え、相手の事を本当に思いやる事が「やさしい」という事なのでしょう。
観音様の慈悲は「同体大悲」と言われます。自分と助けを求める人が、同じ体であるかのように共に苦しみを感じ、救ってくださるんですね。つまり、助ける事と助けられる事に上下関係が無い。その差を超えたやさしさです。我々も観音様を見習って、本当の意味で「やさしい言葉」をかけていきたいものです。
ところで、「やさしい言葉」の意味がそのまま「恥ずかしい言葉」だったら・・・大問題ですね。正しく言葉の意味を知る事の重要さを思い知りました。
追伸
易しいの意味の起源は分かりませんでした。「易しいテストを作る先生は優しい」といったところでしょうか。 (榮雅)
ひとくち伝言板
◇9月〜12月の行事予定
9月4日 (金)
午前9時より 写経の会
9月17日 (土)
午後1時より 秋彼岸大施餓鬼会(塔婆供養)
※お塔婆は前もってお電話かFAX、eメールにて
お申し込みください。1本3,000円です。
10月2日 (日)
午前9時より 写経の会
10月17日(月)
午後1時より 月例法要
◇やさしい言葉
当山第三世 榮應和上の「ひとくち伝言集 やさしい言葉」出版から早くも二ヶ月が経ちました。大変なご好評を頂き、寺族一同感慨に震えております。
私(榮雅)の修行時代の友人にも進呈したところ、有り難い事にわざわざ、あの話が良かった、この話が良かった、と感想を聞かせてくれました。私も含めて、後進の指導にも一役買っているようです。
宣伝のようで(まさしく宣伝なのですが)心苦しいのですが、もし「もう 一冊欲しい」という方や、「知人にあげたい」という方がいらっしゃい ましたら、沼袋の書店、もしくは明治寺にて取り扱っております。どうぞご利用くださいませ。
◇献灯会のご報告
心配された雨も降らず、今年も献灯会を無事に、そして例年にも増して賑やかに催す事が出来ました。献灯会のため、労力提供や宣伝などにご協力くださった方々、ご奉納下さった方々に、深く感謝申し上げます。
お陰様で、収益 107,058円 をユニセフ協会へ寄付する事が出来ました。