ひとくち伝言 平成19年3月

 あなたが一番最後に、誰かに叱られたのはいつですか?

 多くの場合、年を取れば取るほど叱られる機会は少なくなりますので、人によっては何十年も前だ、という方もいらっしゃるのではないでしょうか。なかには自分の子供に叱られた方もいらっしゃるかも知れませんが。

 ちなみに「叱る」という言葉を三省堂の大辞林で調べてみると「(目下の者に対して)相手のよくない言動をとがめて、強い態度で責める」とありました。どうやら腹を立てたり、怒ったりするのとは少し趣が異なるようです。「叱る」という言葉には、単に不満や不愉快な思いを相手に伝えるのではなく、相手のためにその間違いを正そうとする意味合いがあるように思えます。昔の叱られた経験を思い出すと、ばつの悪い気恥ずかしさと共に、少し胸が温かくなるような気がするのは私だけでしょうか。

 叱られるというのはあまり気分の良いものではありませんが、親身になって叱ってくださる方がいるのは大変有り難いことだと思います。慈悲の仏様である観音様の中にも、憤怒のお顔の馬頭観音様という観音様がいらっしゃるように、また十一面観音様のお顔のうち三面は憤怒のお顔であるように、時には厳しく叱りつけることも慈悲、優しさなのでしょう。

 叱られる側としては、一方的に自分の行動や考えが間違っていると言われるわけですから、反発したり、素直に従えないこともあるでしょう。ある程度知恵がついてくる歳になると、本当に自分が間違っているのか、間違っているのは目上の人の方なんじゃないか、そんな気持ちが沸々と湧いてきます。しかし、時が経って一時的な感情が落ち着いてくると、いろいろと見えてくるものがある。そんな気がいたします。思いやり溢れるお叱りの言葉は、心に撒かれた種のようなもので、花開くタイミングを待っているのかもしれません。開花させるにはちゃんと心を耕し、栄養を与えることも大事ですけど。

 …どうも叱られる側の方が感情移入しやすいのですが、こんな若造の私にも、はばかりながら年下の人に対して叱らなければいけない状況がたまにあります。近年は様々な価値観がありますので、ともすれば自分の「こうあるべきだ」とか「こうでなければならない」という考えを押しつかねないのですが、様々な考え方のうちの一つとして伝えることも時には必要なのかなと思っています。

 ところで、私自身は全く覚えていませんが、私が小学生だったころよく父に叱られて、その後に「叱るのはおまえの事を大事に思っているからだよ」と言われていました。その教育が効き過ぎたのか、ある日、私が学校からニコニコしながら帰宅し、開口一番に「今日、知らないオジさんに叱られたよ」と嬉しそうに言ったことがあったそうです。間抜けな子供でした。

 ともあれ、私もまだまだ叱られ足りませんので、時に厳しく育てていただければ幸いに存じます。

                                                  (榮雅)



ひとくち伝言板

◇3月〜5月の行事予定

3月4日 (日) 午前9時より  写経の会
3月17日 (土) 午後1時より  春彼岸大施餓鬼会(塔婆供養)
           お塔婆は前もってお申し込みください。1本3,000円です。

4月1日 (日) 午前9時より  写経の会
4月8日 (日)  花まつり(降誕会)
           午後6時より  花まつりコンサート
4月17日 (火) 午後1時より  月例法要
4月29日 (日)       多宝塔総供養(慈音会)

5月6日 (日) 午前9時より  写経の会
5月17日 (木) 午後1時より  月例法要


◇花まつりコンサートも、今年で13回目を迎えます。今回のコンサートタイトル「チェンバロのまわりで」は、まるで音に包みこまれるかのような花コンの雰囲気、醍醐味を見事に伝えていると思います。ご都合のよろしい方は是非足をお運びくださいませ。

 また、収益は全てNPO「収益は全て幼い難民を考える会」を通じてカンボジアの子供たちへの援助となります。少しでも多く援助できるよう、楽器搬入等にかかる費用をお手伝いいただけると大変助かります。1口1万円でございますが、どうかよろしくお願いいたします。