ひとくち伝言 平成19年7月
六月の月例法要にお参りくださった方や、お近くにお住いの方はもうご存じでしょうが、先日、境内にある本堂前の銀杏の木がだいぶ薄着になりました。
この銀杏は、もう少しで樹齢百年に届こうかという大木で、戦争中に幹の半分近くが焼けてしまったにもかかわらず驚異的な生命力で息を吹き返した、例の「原爆銀杏」です(「やさしい言葉」参照)。秋にはたくさんの実をつけて、なんとも言えない・・・芳香と、美味しい贈り物を届けてくれていたのですが、この銀杏、少し立派すぎるために周囲の木は日光に当たれず、中には枯れ始めてしまう木も出てきました。それで、やむなく枝を詰めて隙間を作ってもらったというわけです。
銀杏にとっても、枝を張りすぎると幹がその重さに耐えられず、焼け跡の空洞から真っ二つに裂けてしまう危険があるそうで、銀杏自身のためのダイエットも兼ねています。だいぶスリムになってしまいましたが、来年にはまた青々と葉をつけることでしょう。
この銀杏を見ると思い出すことがあります。
以前、お参りに見えた方がこの芯の抜けた銀杏に興味を持たれたので、私はこの銀杏の由来をご説明しました。すると、その方は銀杏に手を当てながら、
「傷が元通りにならなくても、ちゃんと育つんですね。」
と感慨深げにおっしゃって、愛おしそうに樹皮を撫でました。その後、ポツリと
「元の通りにならなくてもいいんだ。」
と独り言のようにおっしゃったのです。
その言葉が妙に印象的で、今も私の胸の中に響いています。
元通りには出来ないことだらけの世の中で、もちろんそんなことは出来ないと分かっているけれども、心のどこかで元の形を求めてしまう。「あの時、あんな事が起きなかったら今頃は…」とか、「あそこでもし、ああしていたなら…」とか。私自身も、「父が生きてたらなぁ…」と思う事がよくあります。もしそうなら、このひとくち伝言にこんなに頭を悩ませる必要もないのに・・・。
それでも、いつか「元通りじゃなくてもいいんだ」と、ふっと素直に思える時がちゃんと来るのだと思います。例えば、傷ついた銀杏が、見事に青葉を茂らせているのを見た時なんかに。
起こってしまったことによっては、完全に納得することはなかなか出来ないのかも知れませんが、心のどこかでそう思えたなら、「元通りにはならないんだ」ではなくて、「元通りにしなくてもいいんだ」と思えたならば、今を少し好きになれるような気がします。
本堂前の銀杏がもし戦争で焼けなかったら。枝を切る必要も無く、奔放に枝を伸ばせていたなら。どんなに見事な大樹になっていたのか考えないではありませんが、この銀杏はこれでいいんじゃないか、とも思います。
「あたしを見てごらん? いろいろあったけど、それでもあたしゃここにちゃんと根を張ってんだ。」
そう言ってくれているような気が、なんとなくするのです。
(榮雅)
ひとくち伝言板
◇7月〜9月の行事予定
7月1日 (日) 午前9時より 写経の会
7月7日頃〜15日頃 お盆棚経期間
7月17日(火) 午後1時より 盂蘭盆大施餓鬼会(塔婆供養)
7月29日(日) 午後6時頃より 百観音献灯会
8月17日 (金) 午後1時より 月例法要
9月2日 (日) 午前9時より 写経の会
9月17日 (月) 午後1時より 秋彼岸大施餓鬼会(塔婆供養)
◇お盆の棚経は、ご自宅へお伺いし、ご先祖様方のためにお経を上げさせて頂く法事でございます。
ご希望される方は、日程の調整をいたしますので、お早めにご連絡いただけると有り難く存じます。
また、新盆に限るものではございませんし、ご自宅で行うことがご負担の場合は本堂で行う事もございます。お気軽にお問い合わせくださいませ。
◇前号の伝言板にて、7月の写経の会の日程を間違えて記載してしまいました。
写経の会は、基本的にその月の第一日曜日(7月は1日)に行っております。
この場を借りて訂正とお詫びを申し上げます。
◇7月29日(日)午後6時より
恒例 百観音献灯会(ひゃっかんのんけんとうえ)
・境内の石仏にお灯明をたくさんあげて供養し、飢えた子どもの救いを祈る行事・
今年は例年より少し多めの人出が予想され、期待と不安が入り交じっておりますが、我々はいつものように皆様をお迎えしたいと思います。
どうぞお見守りいただき、またお力添えをいただけましたなら幸いでございます。