ひとくち伝言 平成20年9月
北京オリンピックの熱狂も段々と落ち着き、個人的にはパラリンピックへの注目が高まっている昨今ですが、忘れないうちに今回のオリンピックを見ていて感じたことなどを書いておこうかと思います。
最初に「お?」と思ったのは、女子重量挙げの選手でした。小柄な女性が百キロ以上の重いバーベルを持ち上げるのが痛快だったので何気なく見ていたのですが、タイの選手が登場した際、競技の前後に合掌とお辞儀をしました。「ワイ」という、タイでは日常的な、目上の人への挨拶だそうです。さすが仏教国。
日本の選手にも、競技中に手を合わせていた選手がいました。ソフトボールのオーストラリア戦、アメリカに挑む権利がかかったあの大接戦の最後で西山選手がセンター前ヒットを打ち、三塁からホームへと走った三科選手が手を合わせながらポンとホームベースを踏んだのです。長い延長戦の末、しかも一度は勝利を掴みかけながらあと少しでそのチャンスを逃し、逆転されてもすぐにひっくり返して、最後まであきらめずに執念で競り勝った瞬間でした。普通なら両手を挙げて快哉を叫び、勝利を喜びそうな場面だったのですが、合掌して確実に両足でホームベースを踏んだその姿が印象的でした。
また、日本で活躍したこともあるというマラソンのワンジル選手(ケニア代表)が、ゴールを切った後、十字を切った後に手を合わせていました。キリスト教でも合掌をする場合がありますが、やはりそこに込められた気持ちは仏教式とそう変わらないと思います。
力を出し尽くしたその瞬間に選手たちがどんな思いだったかなど、ただテレビを見ていただけの私には分かるはずもありませんが、その合掌には大きな「感謝」が込められていたように私には感じられました。多分、特定の誰かに向けてというわけではなく、きっと今まで支えてくれた全ての人や、そこに至るまでの様々な出来事や巡り合わせや、力を出し尽くせたことや、あるいは自分の力以上の何かへの…。
感謝の気持ちというのは、何かを尊重する、大事に思うという気持ちから始まるように思います。日本語の「ありがとう」という言葉は仏教用語の「有り難い」、つまりとても稀なことのように大事に思う、という意味ですし、英語のサンキュー(thank you)は「ありがとう」という意味の他に「頼りにする(した)」という意味があり、語源はthink(考える、思いやる)から来ています。他の言語でも、その感謝する相手の価値に重きを置くニュアンスが含まれている言葉が多いようです。まぁ考えてみれば当たり前ですけどね。どうでもいいとか当然と思っているものに対して、感謝の気持ちが起こるはずもありません。
合掌に限らず、感謝の気持ちに溢れた選手の姿は、いろいろな事に感謝できる人の強さを物語っていたような気がいたします。いろいろな事の大事さに気付いているということは、それらを最大限に自分の力に出来るということ。そりゃぁすごい力を発揮するわけだと、妙に納得してしまいました。
(榮雅)
ひとくち伝言板
◇9月〜11月の行事予定
9月7日 (日) 午前9時より 写経の会
9月17日 (水) 午後1時より 秋彼岸大施餓鬼会(塔婆供養)
お塔婆は前もってお電話かFAX、eメールにてお申し込みください。1本3,000円です。
10月5日 (日) 午前9時より 写経の会
10月17日 (金) 午後1時より 月例法要
11月2日 (日) 午前9時より 写経の会
11月17日 (月) 午後1時より 月例法要 並びに
境内石仏総供養
◇今年の献灯会は、前日にさだまさしさんがテレビで紹介してくださったおかげもあってか、少し不安なお天気にも関わらず、大盛況でございました。
また、急遽さだまさしさんご本人もお見えくださり、大いに賑わいました。
お灯明は過去最多の1,027灯が上がりまして、収益として185,768円を日本ユニセフ協会へ寄付することが出来ました。この場を借りてご報告、ならびに御礼申し上げます。