ひとくち伝言 平成20年11月
「恐れ入谷の鬼子母神」という言葉があります。江戸弁の「恐れいりやした」と、鬼子母神を祀ったお寺の中でも有名な「入谷の鬼子母神(真源寺)」をかけた洒落です。この鬼子母神は子授け、安産、子育ての神様ですが、実はお釈迦様に帰依する前は恐ろしい鬼だったのです。他人の子どもを犠牲にして自分の子どもたちを育てていたので、お釈迦様が鬼子母神の末っ子を隠して子を失う悲しみを悟らせ、以後は全ての子どもを守る神様となりました。昨今では理不尽で自己中心的な親をモンスターペアレントというそうですが、お釈迦様の時代にもモンスターペアレントはいたようです。鬼子母神は鬼でしたので、本当にモンスターでしたけど。
このモンスターペアレントという言葉は、まるで怪物(モンスター)のように理屈が通じない恐ろしい親(ペアレント)という意味でしょうか。最近テレビなどでよく話題になっています。例えば「学芸会で自分の子どもを主役にしろ」とか、「うちの子の送り迎えを先生にして欲しい」といったような、マスコミや伝聞などでその主張だけを聞くと到底信じられないような要求もあるそうです。もちろんその要求の中には、親としては当然の希望かも知れないというものもあり、「こうして欲しい」という要望が、保育園や幼稚園、学校との関係が上手くいかずに対立し、「こうしろ!」という要求になってしまったように見受けられるものもあります。当事者以外には(もしかしたら当事者にも)本当のところはなかなか分かりませんが。
この問題が目立ってきたことに関して、いろいろな方が考察をされています。消費者意識の暴走や、教師への尊敬の低下、ゴネ得がまかり通る社会、要求をしないと問題無しとされてしまう風潮、安易なマスコミの煽りなど、様々な要因が絡み合っているようですが、実際のところ、その要求の多くはやはり「子どものため」かと思います。自分の子どもを大事に思い、守ろうとするあまりに、時に他の人にとっては理不尽な行動となってしまう。自分の子どもに嫌われたくない、良い子に育てるには自分たちだけでは荷が重い、子どものために良い親でいたい、頼りがいのある強い親でありたい。そういった、ある意味当然の気持ちから端を発していることがほとんどではないでしょうか。
ところで、鬼子母神は他の子どもをさらう時に、間違った事をしているという意識はあったのでしょうか。お釈迦様が末子を隠された時に半狂乱となり、初めて子を失う悲しみを知ったそうですから、それまではそれほど自覚は無かったのではないかと思います。我が子のためには他の子どもを犠牲にすることも当然の事だったのかも知れません。
鬼子母神の母親としての愛情は、我々人間の母親のそれと変わらず尊いものである。だが、その愛情から起こる全ての行動が許されるわけではない。お釈迦様はそう諭されたわけです。さらには鬼が人間の敵だという「対立」を収め、鬼子母神の母としての愛情を認めて全ての子どもの守り神に任じたあたり、なるほどと思わされます。
この鬼子母神のお姿は観音様のように優しいお姿のものと、鬼のようなお姿のものがあります。その二面性は、純粋な愛情の中にも、下手をすると我々を鬼(モンスター)のようにしてしまう、そんな危険が隠れていることを諭してくださっているようにも思えます。
(榮雅)
ひとくち伝言板
◇11月〜12月の行事予定
11月17日 (月) 午後1時より 大護摩供 並びに 境内石仏総供養
護摩札のお申し込みは前もってお電話かFAX、
eメールにてお願いいたします。1体3,000円です。
並びに明治寺第二世(先々代)榮龍和上二十三回忌のために、
般若心経一巻を上げようと思います。よろしくお願いいたします。
12月7日 (日) 午前9時より 写経の会
(終わった後に、一足早い年越し蕎麦をみんなでいただきます。)
12月17日 (水) 午後1時より 納めの観音法要
◇11月の17日は、毎年護摩を修法し、境内の観音様一体一体にお参りして総供養をしております。今年は、昭和61年11月15日に遷化された明治寺第二世(先々代住職)、榮龍和上の二十三回忌に当たりますため、本堂にて護摩修法の後、般若心経一巻を上げていただきたいと考えております。
どうぞよろしくお願いいたします。
◇九月に観音様の庭の銀杏に雷が落ちました。幸い火事になることもなく、被害は寺の電話が壊れたくらいで済みました。落ちたのが銀杏でなく別の木だったらと思うと、ぞっといたします(銀杏は水分を多く含んでいるため燃えにくいそうです)。きっと雷を銀杏が引き受けてくれたのでしょう。 ありがたいことです。
その銀杏もさすがに疲れたのか、他の木よりも一足早く黄葉しております。17日頃には真っ黄色になって、丁度見頃かもしれません。