ひとくち伝言 平成21年9月

 先日、知り合いの石屋さんと一緒に、高野山の奥の院をお参りする機会がありました。
 奥の院とは高野山を、そして真言宗を開き、また日本の文化の母とも称される弘法大師空海が今なお坐禅されているとされる御廟がある場所で、高野山の中でも一番の聖域です。樹齢がどれくらいなのか想像もつかない杉の森に囲まれ、その参道には二十万基を超すとも言われる供養塔が立ち並んでおります。皇室や公家、戦国大名の菩提を弔う五輪塔に混じって、日産やキリンなどの企業の、モニュメントのような慰霊碑まである不思議な空間で、聖域としての威厳を保つ気があまり感じられないところが素敵です。それでもなお、どこか凛とした空気が満ちており、変に聖域ぶらなくとも、やはりここは聖域なのだと感じられるのですが。

 大抵、初めて奥の院にお参りされる方は、立ち並ぶ石塔を見て、「あ、織田信長の供養塔だ!」「お!こっちには明智光秀!」とか、「法然さんや親鸞さんの供養塔もあるのかぁ」とか、あと、「なんだこのロケット型の石碑は…?」(企業の慰霊碑にはかなり独特なものがたくさんあるのです)といった感想を持たれるものなのですが、そこはさすが石屋さん。この人は違いました。「む、いい庵治石だな!これね、ほら、キメが細かいでしょ?」「お、こっちは万成石!いい色だなぁ」「む、この石工職人、いい仕事してますね…。」なんて具合です。こうも目の付け所が違うとは…。奥の院のことをいろいろ説明するつもりが、逆に石のことをいろいろと教えていただくことになりました。

 教わった中で興味深かったのが、石も呼吸をしているんだということ。その石屋さんによれば、苔が生えると石が脆くなるのは根のせいというよりも、表面が覆われることによって石が呼吸しづらくなるためだそうです。だから、石で作ったものを長く保たせようと思ったら、本当は苔をなるべく生やさないようにしなければいけない。でも、自然に苔生し、角が欠けて丸くなり、風化し、その数百年の時間を伝える石塔の前では、決まった形を保つことにどれほどの意味があるだろう。無理をして形を保とうとするよりも、ありのままに在り続け、その刻まれた年月から自然と滲み出る風格や雰囲気をまとった姿の方がよっぽど尊く、味わい深いじゃないか。そうおっしゃっていました。

 ふと辺りを見渡せば、閑かに息づいている無数の石塔。悠久の時の流れを伝える樹木や苔たち。その葉擦れの音と虫の声の響く中でそっと、誰かにささやかれたような気がいたしました。ありのままに…と。
 

                                                  (榮雅)



ひとくち伝言板

◇9月〜11月の行事予定

9月6日 (日) 午前9時より  写経の会
9月17日 (木) 午後1時より  秋彼岸大施餓鬼会(塔婆供養)

10月4日 (日) 午前9時より  写経の会
10月17日 (土) 午後1時より  月例法要

11月1日 (日) 午前9時より  写経の会
11月17日 (火) 午後1時より  月例法要 並びに境内石仏総供養


◇今年の献灯会も、お陰様で大盛況でございました。
ランバンサリによるガムランは、しっとりとした音色と優美な舞踏、そして今年は勇壮な舞踏も演じられ、また一つ、ガムランの魅力を見せてくださいました。他にも野外映画やちんどん、幻灯、商店会による夜店などもいい雰囲気で、他のお祭りとは少し違う風情をお楽しみいただけたのではないかと思います。
また、今年もさだまさしさんがお見えくださり、大いに賑わいました。

お陰様をもちまして、205,300円を日本ユニセフ協会へ寄付することが出来ました。
この場を借りてご報告、 ならびに御礼申し上げます。