ひとくち伝言 平成21年11月

 たまに、普段あまり竹箒を使う機会が無い友人に、庭掃除を手伝ってもらうことがございます。「もし暇だったらちょっと庭掃除を手伝って欲しいんだけど、どう?」と聞くと「ああ、落ち葉拾いだね、いいよ。」なんて快く引き受けてくれたりもするのですが、有り難いなぁと思いつつも、ちょっと引っかかってしまう。落ち葉「拾い」じゃなくて、落ち葉「掃き」じゃないのかな? と。拾う程度で済むのならどんなに楽なことか。拾うのはゴミか、あるいは「落ち穂」では? なんて事を思ってしまうのです。いや、どちらが一般的な言葉なのかは知りませんし、ニュアンスの問題なのでどちらでもいいんですけど。
 で、手伝ってもらうと、これがなかなか性格が出るもんです。几帳面な人なんかは葉っぱの一枚も見逃さない。「今の時期はまだざっとでいいから」と声をかけるのですが、徹底的に掃き清め、最後は本当に一枚一枚拾ってまで綺麗にしてくれます。そんなにまでして一気に綺麗にしてくれても、ほんの風の一吹きで今掃除したところが室内ではないことに気付かされ、世の無常を思い知ることになるのですが。

 庭であれ家の中であれ、掃除というものの厄介なところは、どんなにやっても絶対に、「完全には終わらない」というところでしょうか。一通り掃除を終わらせても、すぐに汚れ、散らかり始める。かと言って汚れたまま、散らかったままではいろいろと具合が悪い。この永遠の命題とも言える問題に対する、人類の一つの答えがお掃除ロボットだったりするのですが、まぁ、どんなに進化しても床がせいぜいでしょうし、風呂掃除からトイレ掃除、果ては石だらけの庭の掃除までしてくれるロボットの開発は到底無理でしょう。では我々人類はどうすればよいのか。実は仏教の教えの中にすでに非常にシンプルな答えが提示されていました。「掃除を続けなさい」と。

 「掃けばちり、払えばまたもちりつもる 人の心も庭の落ち葉も」という古い道歌があります。塵が無くなるという事はないのだから、綺麗な状態にするという目的にこだわってはいけない。常日頃から掃除を心がけ、塵が積もったなら払えばよいのだ。なんだかそう言われているような気がいたします。
 心に積もる塵の方も、掃いて捨てるほど溜まってしまわないうちに払っておかないとなぁ。そんな事を考えながら、今日も掃除をしております。
 

                                                  (榮雅)



ひとくち伝言板

◇11月〜12月の行事予定

11月1日 (日) 午前9時より  写経の会
11月17日 (火) 午後1時より  月例法要 並びに境内石仏総供養

12月7日 (日) 午前9時より  写経の会
          (終わった後に、一足早い年越し蕎麦をみんなでいただきます。)
12月17日 (水) 午後1時より  納めの観音法要

毎年11月17日は、境内の石仏諸尊に日頃の感謝を捧げご供養をいたします。本堂では護摩供も修しますので、どうぞお参りくださいませ。
また、護摩供のお札をご希望の方はお電話かFAX,eメールなどで、前もってお申し込みをお願いいたします。

◇ 去年の九月に雷が落ちた銀杏の木は、春にしっかりと芽吹き、夏には青々と茂っていたのですが、やはり相当疲れが残っていると見えて早々に葉を落とし、一足早く冬支度をしてしまいました。
少し心配ですが、ちょっとダイエットをしてもらいつつ、様子を見たいと思います。


                但し 一月は十日(第二日曜日)に変更いたします