ひとくち伝言 平成25年11月
先日、書架を整理しておりましたところ、父、榮應の古い原稿が出て参りました。明治寺の本尊、如意輪観音様についてのお話です。
『ある探検隊がアマゾン川の河口地帯に調査に行ったそうです。カヌーに乗って、まるで海のように広い水面を漕いで行くうちに、探検隊は「しまった、川を進み過ぎて海に出てしまった」と思い込んだ。太陽はギラギラと探検隊を照らします。やがて水筒の水も底を尽き、喉の渇きにあえいでおりますと、そこに、現地の人たちの船が通りかかりました。探検隊は喜んで「水をくれ!」と叫ぶと、彼らは水面を指して、「この水を飲め」と答えたそうです。探検隊の一同は一瞬あっけにとられて、やっとここが川だったことを知ったという話です。(ちなみにジャングルの川の水も、日光の紫外線が当たっている表面だけは殺菌されており、飲んでもおなかを壊さないのだそうです。)
それほどアマゾン川というものは広いんだぞ、というお話らしいのですが、また一方、「求めるものの中にいながらそれに乾いている」ということを、我々はひょっとすると平気でやっているのではないだろうか、という意味でも面白い話だと思うのです。
春を捜し歩いたが見つからず、ヘトヘトで家に帰ると、庭の梅の枝先に一輪の花がほころびていたという詩がありましたね。
大きな恵みを受けていながら、私たちはなかなかそれに気が付きません。本尊の如意輪観音様は、「あなたの身近にありながら気付かないでいる大切な物、大きな大きな宝物に早く気付き、それを生かしなさい」と教えているのです。』
身近にあるのになかなか気づくことができないもの。なるほど、眼鏡をおでこにかけながら「メガネ、メガネ」と探すようなものかな。…なんだか一気に喩えが卑近になりましたが、ではどうしたら、そうした身近な宝物を見つけられるのでしょうか。
その問いに、般若心経は「何事も、決めつけてはいけない」と答えます。「思い込みや早合点ばかりでは、宝物を見逃してしまうよ」と注意してくれているのです。もちろん、ことある毎に考え込み、いちいち判断するなんて面倒なことですし、ともすればせっかくの経験や知識を否定しかねません。けれども、たまには効率の悪い遠回りだっていいもんです。その回り道の分だけ考え方が豊かになり、身近な宝物に気付く機会も増えようというもの。「どうせ」とか「いつも」とか、「はず」という決めつけの言葉を使わないようにするだけで、視界を広くし、世界を大きくする上、ついでに頭の働きまで良くなるのだそうです。
ヘトヘトになるほどの回り道が、身近な宝物に気付くための最良の道であることも、時にはあるようでございます。
(榮雅)
平成25年 11月〜26年1月行事ご案内
11月3日 (日) 午前9時より 写経の会
4日 (月) 午前9時より 写経の会
17日(日) 午後1時より 大護摩供 並びに 百観音総供養
28日(木) 午後3時より 法話と能の話を聞く集い
12月1日 (日) 午前9時より 写経の会(年越しそば)
2日 (月) 午前9時より 写経の会
17日(火) 午後1時より 納めの月例観音法要
26日(木) 午後3時より 法話と能の話を聞く集い
元旦 日の出頃 修正会 元朝護摩
1月5日 (日) 午前9時より 写経の会
6日 (月) 午前9時より 写経の会
17日(金) 午後1時より 初観音大護摩供
◇黄金に色づく銀杏の下、心の旅路をなさいませんか?
〜百観音明治寺「百観音巡り」のお知らせ〜
去年と一昨年は、百年祭や会館落慶式のため、石仏諸尊の総供養を例年通りに行えませんでした。よって今年は「百観音巡り」と題し、丁重にご供養いたします。
護摩法要後、百尊とのご縁結びのため、境内の石仏一尊一尊のお足元にお賽銭をお供えいただきます。お賽銭は、ご縁があるよう五円玉百枚(五百円分)を1セットとしてご用意いたしますが、ご自身でお賽銭をご用意いただいても結構です(五円玉でなくとも結構です)。巡礼を成満された方には、その証として御朱印をお授けいたします。「百観音巡り」の後には体が温まるけんちん汁のお振る舞いもございますので、どうぞお気軽にご参加くださいませ。
なお、護摩祈祷の護摩札をご希望の方は、一体三千円にてお申し込みいただけます。
◇写経の会
10月より、写経の会を第1日曜日の次の月曜日にも行うことにいたしました。どなたでも、事前の申し込みなくご参加いただけます。
◇坂東三十三観音参りのご報告
去る10月28日、坂東の一番〜四番、十四番の5ヶ寺を、明治寺観音講として、総勢21名で参拝して参りました。晴天にも恵まれ、心地よく清らかなご加護をいただいたお参りでございました。次回は4月上旬頃を考えております。