ひとくち伝言 平成29年7月
バーで一人、グラスを傾けていると、バーテンダーがグラスをスッと差し出して「あちらのお客様からです」と、別の客を指し示す。こんな光景はドラマの中でしか見たことがありませんが、ちょっと面白い仕組みだと思います。直接贈りものをするのではなくて、代償を負い、その結果得られるものを別の人に指し向ける。これって、少し廻向の仕組みに似ている気がいたします。まぁ、下心が有るか無いかは大きな違いなのですが。
インドの古いお経に「餓鬼事経」というお経があります。お盆やお施餓鬼の典拠である盂蘭盆経の、原型とも言える初期の仏教経典です。これは、生前の悪行の報いを受けた餓鬼(幽霊のような存在)についてのお経で、例えば、とてもケチな人が死後に餓鬼となり、食べものが全て汚物に変わってしまう様子や、怒ってばかりの人が餓鬼となり、皮膚を焼かれる様子、殺生や盗み、罵りや嘘、淫行のために終ることのない苦痛を受け続ける様子が語られています。食料をあげたくとも、彼らは生者の物を直接受け取ることはできません。同じ空間にいるように見えても、存在する世界が違うからです。そんな悲惨な餓鬼たちが救われるにはどうしたらよいのか。その経典には、次のように説かれています。
「(人が)仏にお布施をして、そのお布施をあなたたち(餓鬼)に指定します。そのとき、あなたたちは富楽を得られるでしょう」
仏教では、善い行いには善い結果が、悪い行いには悪い結果が必ず訪れるのだと説きます。餓鬼たちも、この法則を思い知らされております。痛いほど。けれども、もし誰かが善行を積み、その善い結果(果報)の行先を餓鬼に指定したなら、彼らも苦しみから救われる。この「指定」という言葉を、他の漢訳経典では「廻向(廻らし向ける)」と表現しました。廻向とは、自分の分の果報を、誰か他の人に指定して差し向けることなのですね。
果報を指定してもらえた餓鬼たちは、たちまちに千年分の食に満たされたり、光輝く美しい着物を得たり、天人に生まれ変わったりと、その効果はテキメンです。一方、果報を譲った方はというと、こちらは餓鬼を救うという善行を積んだので、やはり果報がついてくる。ひとつの善行で二人分の果報です。
お施餓鬼の行事は、たくさんの命から廻らしてもらった果報に感謝し、そしてたくさんの命に広く施しをして、その果報を餓鬼やご先祖様に指定する行事です。それがまたご自身の、次の果報になることでしょう。
お施餓鬼に限らず、何か善い事をした時には、バーテンダーならぬ仏さまにお願いをしてみてはいかがでしょうか。「あちらの方にも果報を」と。他の人にも善いことがありますようにと願った果報は、一人で味わう果報とは少し違う味わいがあるはずでございます。
草野榮雅 拝
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平成29年7月〜97月の行事予定
7月2日・3日 (日・月) 午前9時 写経の会
7月17日 (月) 午後2時 盂蘭盆大施餓鬼会
7月30日 (日) 献灯会
8月17日 (木) 午後2時 観音経読誦会
9月3日・4日 (日・月) 午前9時 写経の会
9月9日 (土) 午前10時 坐禅の会
9月17日 (日) 午後2時 秋彼岸大施餓鬼会
◇ お盆の棚経は、ご先祖様方へご供養をする法事でございます。ご希望の方は、日程の調整をいたしますので、お早めにご連絡くださいませ。間近になりますと、ご希望に添えない場合がございます。
また、本来はご先祖様をご自宅へお迎えする法事ですが、ご自宅でのご供養が難しい方は明治寺へお越しいただいてご供養なさっても結構です。
◇ 献灯会は、子どもたちの未来を少しでも明るくするため、灯明を灯し、その収益金を寄付させていただく行事です。どうぞ祈りを共にしていただけましたなら幸いです。
当日はお越しになれない方も、代わりにお灯明をお供えいたします。
◇ 8月の17日は毎年恒例で流しそうめんを行います。ちょっと風流な夏のお楽しみとして、どうぞお気軽にお参りください。
◇ お盆の関係で、坐禅の会は7月、8月、写経の会は8月がお休みとなります。