ひとくち伝言 令和4年9月

道端で財布を拾って、心の中で天使と悪魔が言い争いをする。
「ラッキー!貰っちまおうぜ。どうせバレないさ」
「交番に届けてあげましょう。落とした人もきっと喜びますよ」
心の葛藤を表す、古典的な表現です。誰の心にもある善と悪を象徴しているわけですが、もしこの中に仏さまも居たとしたら、どんなことを仰るでしょうか。

私たちが拠り所とするべきものについて、お釈迦さまは「自らを拠り所とせよ」と仰いました。しかしこれは直感を信じるだとか、我が儘に生きるだとか、そういう意味ではありません。
この言葉には続きがあって、「ものごとについてよく観察し、よく気をつけて貪(むさぼ)りの心と憂(うれ)いを除くこと。これが、自らを拠り所とするということである」と説明しています。もう少し詳しく言えば、「身体は不浄」「感覚はすべて苦しみの元」「心は不変ではない」「あらゆるものに実体がない」と考えて心を落ち着けること。拠り所とするのは普段の自分ではなく、冷徹なまでに深く落ち着いた状態の自分だということです。

かなり悲観的な考え方かも知れませんが、これは絶望的な結論ではなく前提、出発点なのだと私は思います。嫌なこと、否定的なことから目を背けた希望的観測は、判断を誤らせます。信じたいという気持ちについ流されてしまう。そんな幻想や甘い期待を徹底的に否定した上で、つまり思い通りにはならないことを前提とした上で、それでもなお消えることのない判断。それこそが大事な、拠り所となる自分なのでしょう。無常を悟ってもなお伝道の旅に出た、お釈迦さまの決意のように。
冒頭の財布の例で言えば、まず「盗ってもバレないだろう」「自分は罪悪感など持たないだろう」という期待を捨てて、次に「落とし主は感謝するはず」「御礼が貰えるかも」という期待も捨てる。そうならなかった時に恨みを持たないために。それくらい落ち着いた状態で、自他の安らぎに繋がる行動を考えるのが仏さまの基本姿勢です。

とは言え、常に仏さまのように生きるのは難しい。希望や願いが物事を動かす力になるのも確かです。そこで、「こんな見方もある」くらいに考えるのは如何でしょう。迷いや不安、そして過剰な期待に惑わされないよう、たまに仏さま的思考をしてみた自分に意見を求めてみる。それこそ心の中の相談役として。すると段々に、拠り所としての自分が育っていくことと存じます。

草野榮雅 拝

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令和4年7月~9月の行事予定

 9月4日・5日 (日・月) 午前9時 写経の会
 9月17日 (土) 午後2時 秋彼岸大施餓鬼会
   お塔婆は前もってお電話かEメール等でお申し込みください。一基三千円です。

 10月2日・3日 (日・月) 午前9時 写経の会
 10月17日 (月) 午後2時 観音経読誦会 

 11月6日・7日 (日・月) 午前9時 写経の会
 11月17日 (木) 午後2時 境内石仏総供養

◇今年こそ例年に近い形で献灯会を開催したかったのですが、第七波を受けて、ただ灯明を供え、慎ましくお勤めいたしました。
御奉納、献灯、ご寄付をお寄せいただいた方々に心より御礼申し上げます。
今年は、重い病気の子どもたちとその家族に楽しい時間を過ごしてもらう場を作る横浜こどもホスピスプロジェクトに150,000円を、日赤令和4年8月3日からの大雨災害義援金に125,850円を寄付させていただきました。
ここにご報告申し上げます。

◇塔婆供養とは仏塔(ストゥーパ)を建てて供養することで、亡き方のため多宝塔や五重塔の代わりに卒塔婆を建立します。
秋彼岸大施餓鬼会にて塔婆供養をご希望の方は、お申込みくださいませ。 お申込み料は当日でも結構です。

◇お休みしていた坐禅の会を、登録制の形で再開しようと思います。
ご興味のある方は お知らせくださいませ。

◇ 百観音明治寺フェイスブックページ
  https://www.facebook.com/meijidera/