ひとくち伝言 令和5年正月

令和五年 癸卯 正月



謹んで新春のご挨拶を申し上げます。

頓智(とんち)で有名な一休さんの作として「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」という狂歌が伝わっています。門松を街道の一里(約4キロ)ごとの目印に喩え、正月を人生の旅路の節目とした歌です。「ここまで来たか」と道のりを振り返り、「さて、どう歩もうか」と先を考える。ちょっと一息つきつつも、旅路の先に目を向けよという警句なのですが、一応、めでたくもあるらしい。この「めでたい」と「めでたくない」が並立する言い回しが、実に一休さんらしい気がいたします。

一休さんの頓智で有名なのは、橋の話でしょう。一休さんが桔梗屋さんに招かれますが、その屋敷前の橋には「このはしわたるべからず」という立て札がある。しかし、一休さんは堂々と橋を渡ってしまいます。なぜ渡ったのかと責められれば、「端を渡らず真ん中を渡ってきた」と臆面もなく答える。理不尽な要求に対して頓智でやり返すのは痛快ですが、現実的に考えればただの屁理屈にも思えます。正しいような、正しくないような……。しかし、この話の肝は「指示を無視して渡る」か「指示を守って渡らない」のどちらか二択だったところに、第三の道を見出したことではないでしょうか。「招きに応じること」と「指示を守ること」が衝突した時に、「どちらかから正しい方を選ばなければいけない」という二択の思い込みから離れる。これが、その場その場に応じた智慧、頓智なのでしょう。

物事を二つに分ける考え方があります。「正しい」と「間違い」とか、「善い」と「悪い」とか。こうした分け方は、複雑な状況をとてもシンプルにしてくれます。しかし、時に分けるということは私たちを錯誤させ、考えを不自由にもしてしまう。なにせ、分けるのは社会や自分自身で、最初から決められているわけでは無いのですから。「正しさ」同士の衝突や「善いこと」同士の衝突も起ころうというものです。だから、一休さんは遺言で、不(ふ)思(し)善(ぜん)悪(なく)と残した。善いとか悪いとか、無理矢理に二択で当てはめるのではなく、物事をありのままに見よ、と。

勝ちとか負けを自分に当てはめる必要はありません。好きとか嫌いを他人に当てはめる必要もありません。相反する価値観すら重なり合い、並立する曖昧さ、二択に縛られない自由さも、この時代には必要ではないでしょうか。


草野榮雅 拝

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令和五年  行事ご案内 

 一月一日(日) 修 正 会(しゅしょう え )(護摩修行・祈祷)
                午前六時および午後二時頃、本堂にて修行
 一月十七日(火) 初観音大護摩供

 二月三日(金) 節分会 星まつり 午後二時より

 三月十七日(金) 春彼岸 大施餓鬼会

 四月八日(土) 釈迦降誕(ごうたん)会(え)(花まつり)
 四月二十九日(土・昭和の日) 慈音会法要・多宝塔供養会

 五月十七日(水) 観音経読誦会(護摩供養)

 七月十七日(月) 盂蘭盆 大施餓鬼会
 七月三十日 (日) 百観音献灯会 夕方六時より

 九月十七日(日) 秋彼岸 大施餓鬼会

 十一月十七日(金) 境内石仏総供養大護摩供

 十二月十七日(日) 観音経読誦会(納めの百観音法要)

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 ● 毎月十七日 観音経読誦会(月例法要)
     毎月午後二時より、太鼓の音に合わせて観音経と般若心経をご一緒にお唱えいたします。どなたでもご参加いただけます。
     正月、五月、十一月は護摩法要、三月、七月、九月は施餓鬼法要を併せて修行いたします。

 ● 毎月第一日曜日ならびにその翌日の月曜日
     午前九時より 写経の会 (小筆と納経料千円をご用意ください)
     ※一月は第二日曜日の八日と九日、八月はお休みです。

 ● 毎月一回、不定期で坐禅の会を行っています。詳細はお問合せください。
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年回表
  一周忌  令和四年(2022年)寂
  三回忌  令和三年(2021年)寂
  七回忌  平成二十九年(2017年)寂
  十三回忌 平成二十三年(2011年)寂
  十七回忌  平成十九年(2007年)寂
   二十三回忌 平成十三年(2001年)寂
  二十七回忌 平成九年(1997年)寂
  三十三回忌 平成三年(1991年)寂

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