近畿地方の西国三十三観音、関東一円の坂東三十三観音、そして秩父の三十四観音、合わせて百の観音さまを一体一体拝みながら、昔の人は壮大な旅をしました。
この庭園に立ち並ぶ観音石像は、その百の観音様のお姿をいただいて石に刻んだもので、これを「写し霊場」といいます。一か所ですべてにご縁が結べるよう、一体一体建立された観音霊場なので、「百観音」と呼ばれています。現在は番外も含めて百八十体ほどの観音石仏がいらっしゃいます。
観音巡礼の由来をたどると八世紀の初頭まで溯ると言われます。言い伝えによれば、徳道上人という和尚様が生死の堺をさまよわれた時に、閻魔大王がその夢の中に現れて、「衆生の救いのために三十三ヶ所の観音札所を開設し、写経を納めて礼拝した人々には信心の証として朱印を授けるように」と告げて、三十三個の印をお授けになりました。このようにして初めて西国三十三ヶ所巡礼が始まりました。坂東霊場と秩父霊場が順次、鎌倉時代の頃に成立したと言われます。
※御参拝について
法事や壇務により、参拝の方の応対が十分にできないことがございます。予めご了承くださいませ。
また、それぞれに施主がいらっしゃいますので、石仏の写真撮影はご遠慮いただいております。
境内の一部は中野区に貸与し、「百観音公園」として朝6時より夕方6時までの間、開放されております。公園区域内には少々珍しい石造りの滑り台がありますが、これは元々鐘楼(鐘撞き台)でした。太平洋戦争の際に鐘を供出し、台座だけとなっていた鐘楼を、子どもたちのために遊具に改造したものです。
西武新宿線 沼袋駅より
徒歩4分
〒165-0025
東京都中野区沼袋2-28-20
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